『篝火の集い』


九月の半ばに近づいてきたころ、
寛太(かんた)の通う三又小学校では秋の一大行事が行われようとしていた。

全校生徒参加の夜の集い。
『篝火の集い』である。(かがりび、と読む)

これがどんな行事かと言うと、
少々、儀式めいたキャンプファイヤーなのである。
夜に、小さな校庭のグラウンドの中心に巨大な火を焚き、
数十人たらずの全校生徒で囲み、健全な身体と精神を誓う。
そんな意味を持つ集会と、わら半紙の学年通信には仰々しく書かれてある。
もちろん子供たちは、そんな風には思ってはおらず、単なる
「秋の大キャンプファイヤー大会」程度に解釈しているに違いなかろう。

いったい、いつから行われているのか、そんなことは誰も知らない。
けれど毎年かかさず行われている、何ともへんてこな学校行事であった。


夕方から行われるこの行事があるおかげで、今日は授業が午前中にしかない。
午後の授業は夜の行事のために子供たちを休ませる目的で休止なのだ。
そんなもんだから寛太は朝から実に機嫌が良かった。
こんな日の勉強はなかなか素直には耳に入らないもので、
寛太は一時間目から「落ち着きがない」と担任からさっそく注意を受けた。
「すみませんでした!」
と威勢良く謝ってみせるものの、十分もするとまたすぐ上の空である。
担任も今日ばかりは、と渋々あきらめ、二時間目から注意するのをやめてしまった。
実は担任にも、寛太を上の空にした原因がある。朝の会で
「教頭先生がみんなにメロンを買ってきてくれた。夜の給食に出るからな。楽しみにしてるんだぞ」
などと口をすべらしてしまったのだ。
この不用意な発言のせいで、寛太だけでなく男子生徒の多くは授業に集中できておらず、
メロンの甘さを想像するため、朝食で得られた栄養を脳で消費するので一生懸命だった。
担任はこれでは授業が身にならんなあ、と思いつつ、
あの気難しい教頭がメロンを箱で買ってくるなんて、と不思議でしょうがなかった。
そんなことを考えているものだから、この担任もまた授業に集中できていなかったのである。

篝火の集いは午後六時に夜の給食を食べてから行われる。
夜の給食なんて、年に一度この時だけだ。
なぜ夜に給食が出るか、と思うかもしれない。
子供たちを昼に家に帰すのならば、夕食は集いの前に食べてくるよう指導すればいいのに、と。
確かにそうすれば、夜の給食は支給しなくて済むだろう。
しかしこれは、夜に行われる集いの前に、子供達に精をつけてもらいたいという、
給食室の職員のおばさん二人の粋な計らいなのだ。

メロンを買ってきた教頭も、もしかしたらそんな給食室のおばさんと似たような心情だったのかもしれない。
今日は、誰にとってもちょっとした特別な日であり、ちょっぴりやさしくなれる日だった。
それは特別な行事が行われるから、というのもあるが、やはり皆、この三又小学校が好きだからに違いない。

三又小学校は廃校寸前の小さな小学校であった。
百年以上もの歴史のある、そんな木造おんぼろ校舎だ。
生徒も全校でたったの三十人程度。
平均すると一学年五人の計算だが、人数が少ないためばらつきも大きく、
例えば五年生は11人いるが、三年生は一人しかいない。
ちなみに寛太のいる四年は全員で六人である。
そんな小さな学校で、生徒も先生も日々を過ごす。

小学校は廃校寸前なら、村も廃村寸前である。
人口は目に見えて減っている。
若い人たちが次々と仕事や娯楽を求め、村外へ出て行くのだ。
まさに村にとっては“大損害”。
何人かは戻ってくるが、やはり何人かは東京とやらで定住し、
お盆にだけ帰ってくるお客さんになる。
古だぬきみたいな、おえらい村議会議員たちは無い知恵を必死に搾り出し、
何とか人口流出を止めようとしているがしょせん無い知恵である。
ろくに対策を立てないくせに、学校の来賓に訪れた際、生徒にむかって
「村の未来を担うのは君たちです」と言うだけであった。

村に自然は山のようにある。しかし人がいない。
学校の裏の三又神社は整備する人がおらず、もう草がぼうぼうと生え放題となっている。
村の産業の中心だった、たばこ畑も続ける人がいなくなり、
たばこ畑独特の匂いもいつのまにやらどこかにいってしまった。

そんな村の小高い丘の上に小学校は
皆を見渡せるようにたたずんでおり、地域の活力源となっている。
学校行事のほとんどを地域の人々に公開していた。
春の運動会しかり、秋の学芸会しかり、
生徒のまったく関係ない地元のお年寄りたちがたくさん来てくれる。
運動会では子供と一緒になって走る。
学芸会ではたくさんの拍手をわあわあと生徒に打ってくれた。
この小学校と地域はそんな不思議な一体感があった。


昼過ぎに寛太は家に走り帰ると、ランドセルを玄関にぽいと放り出し、
さっそくじっちゃんの所に走っていった。
じっちゃんはいつも自宅の裏にあるホコリくさい小屋にいる。
けれどいつもぽかぽかの陽が当たっているので、寛太にとって別に嫌いな場所ではない。
じっちゃんは小屋で何をしているかというと、
山から取ってきた山菜を保存するために乾燥させたり、
なんだか怪しげな農具をこさえているのだ。
特に仕事の無いときは、相撲を見ながらごろごろしている。

「じっちゃん。トーチできてるがー?」
「おう。ほれ、そさあるやづだ。今朝、山さ行って木切ってこさえだなだ」
そう言いながら薄暗い小屋の奥から、のっそりと、じっちゃんが現れた。
小屋の入り口の辺りを見回すと立派なトーチが立てかけられてあった。
篝火の集いでは、生徒全員がトーチを作ってくることになっている。
トーチの作り方は単純そのもの。
まず、山に行って適当な木の枝を切ってくる。(だいたい1m程度の長さ)
木の枝の先端に、灯油をしみ込ませたタオルを針金で巻くだけ。
これでイッチョマエのトーチの完成である。
「灯油さ触らねように、気ぃつけれ」
じっちゃんはそう言うと、また小屋の奥にのそのそと戻っていった。

時計はいつの間にか二時を指していた。
寛太はトーチを手に入れたことだし、四時までぶらぶらすることにした。
四時から学校へ行けば、十分篝火の集いには間に合う。
初秋といってもまだまだ残暑が厳しい時期である。
寛太の家の周りの草木も、もう暑さは勘弁しておくれよ、
と、うな垂れているようだ。
家の近くには山から流れてくる水を貯めておく小さな池がある。
そこで寛太は勢いよく流れてくる水をじゃぶじゃぶかき回し、辺りに撒き散らして遊んでいた。
こんな事をしても怒る人は誰もいない。
池の近くは道路になっているが、誰も通りかからないのだ。
水遊びに飽きると今度は、蜂の巣を壊すいたずらを思いついた。
小屋の屋根の裏には、よく蜂が巣を作る。
ひとつひとつは小さな巣だが、数が多く何かと危険で、一昨日などばあちゃんが尻を刺されてしまった。
寛太は池の水を汲んできて、蜂の巣に勢いよくかけて巣を落とそうとした。
当然水を打ちつけられた蜂は、防衛行動にでるので
その度寛太は急いで、家に入り戸を閉めやり過ごした。
何度も続けていると巣はやわらかくなるが、結局落ちなかった。

もくもくと太った入道雲が横たわる空にはたくさんの赤とんぼが飛び、
空のでっかい青さを隠そうとしている。
夏を引きずっているような季節の変わり目。
自然たちは生命を謳っている。
秋は気まずくてまだまだ出てこられない。

田舎の昼下がりは、寛太のような少年には寂しいかもしれない。
ほとんどの大人は仕事に行っているか、昼休みの休憩を日を避けて家で過ごしている。
陽を避けた家の中のテレビからは、毎日決まってNHKの「お昼の放送」が流れてくる。
これが寛太にはどうしても堪えられなかった。
大人は決まった毎日が嫌にならないのか、どうして毎日同じ番組ばかり見るのかと疑問に思うのだった。
寛太の少ない友達はちょっと離れたところに住んでいるので、そこまで行くのは面倒な寛太はよく一人で庭で遊ぶ。
だからこんな日の昼は少し寂しい。
三時半に寛太は学校に戻った。


午後四時になり、校庭にいったん家に帰っていた生徒が集まってきた。
昼に比べ、やや涼しくなったこともあり、
生徒たちは高学年、低学年関係なくグラウンドでサッカーをしていた。
寛太はサッカーが苦手だったが、みんな参加しているのでDFとして参加した。
この時間帯のグラウンドの砂はほんの少しだけ水分を含んでおり、
転んでもそれほど痛くないのだった。
学校のグラウンドは一周120mの小さなものだったが、
三十人の生徒にとってはそれほど不便でもない。
夕方になってくるにつれ、やや肌寒くなってきた。
舞い上がった砂に夕日があたり、グラウンドの色は暖かであったが。

「皆さん、給食の準備をしましょう。
 繰り返します。給食の時間になりました…」

備え付けの拡声器から、たどたどしい女生徒の放送がグラウンドに響いた。
サッカーをしていた男連中たちは、ボールをほったらかして
砂だらけのばっちい手も洗わず、学校に入り、給食室へ急いだ。
がたがたと木の渡り廊下に走りこんだところで、寛太はカレーの匂いに気が付いた。
「今回もカレーだ!」
篝火の集いの給食は毎回カレーと決まっているようだ。
給食のおばさんが作ったカレーはとてもいい匂いがする。
辛くなくて、具がたくさん入っている、ちょっとじゃがいも大きめ、そんなカレー。
「ほれぃ、いっぱい食べなーよ」
白い割烹着を着た二人のおばちゃんは、
給食を取りに来る生徒たちに威勢のよい声をかける。
寛太は食器を持っていく際に、
給食室の奥にきちんと切り分けられたメロンがあることに気が付いた。
「おばさん。メロンは?」
「後で持っていくから、楽しみにして」
おばちゃんはしわだらけのいい笑顔を返した。

この日の給食は全校生徒で体育館の中で食べる。
木造の小さな体育館は、子供達と先生でもういっぱいになっていた。
全校生徒は、学年の人数が均等になるように4つに分かれている。
すなわち、赤組・青組・黄組・白組といった具合で、
運動会など行事のたびに、この枠組みで行動する。
今日も例外ではなく、各組がまとまって給食を食べ、
腹いっぱいになり、精をつけたところで、篝火の儀式を行うのだ。


寛太は赤組だった。
赤組連中は、木造の体育館の入り口側で輪になって給食を食べていた。
夕日をたくさん浴びた体育館は暖かで、半ズボンで座っていても冷たくない。

「寛太、福神漬け食べる?」

寛太はびっくりした。
話しかけてきたのが、六年の泉だったからである。
「あ、うん、食べる……」
寛太はもじもじと応えた。
泉はさっきまで自分の口に運んでいたスプーンで
福神漬けを手際よく寛太の皿にもってよこした。
肩でまくった半そでシャツから出ている泉の腕は、きれいに日焼けしていた。
寛太はそれを見てどきりとして、顔を真っ赤に赤らめてしまった。
「あんた、背ぇ小さいんだからさ、いっぱい食いな」
泉はそれだけ言うと、またカレーを食べ始めた。
寛太はろくに返事もできずに、照れ隠しに必死になった。
そして、なぜ返事をしなかったのか、会話を続けなかったのか、寛太はすぐに後悔することになった。
寛太は泉と接するときは、篝火の集いの給食メニューと同じでワンパターン。
恥ずかしくてなにもできない、これだけ。
他の男子がやるような、女子生徒へのちょっかいすらできなかった。
寛太は、これではいけないと思いつつも、泉の声を聞くとどうしてもきゅうきゅうとなってしまう。
学年が違うので、泉とは普段会話する機会がなかなかない。
だから少し話すだけでも寛太は普段の調子からは考えられないほどにどぎまぎしてしまう。
同学年だったら良かったのにと、小学四年の少年は思った。

泉への照れ隠しと、泉から貰った福神漬けにいつ手をつけようか、寛太は大いに頭を悩ませたが
ごちそうさまの時間が近づいたため、急いで食わねばならなくなった。
おかわりのタイミングまで逃したが、泉に話しかけられたのだから、まあよしとした。

その後、教頭先生が自慢げに生徒の前に現れて
「実はみなさんにメロンの差し入れがあります」
なんてすでに知れ渡っていることを長々としゃべり始めた。
実際振舞われたメロンは、なかなか上等なもので、教頭の演説1回で食べれるとしたら安いものであった。

体育館の貧相で薄っぺらいガラス窓から、どっと低くなった夕日が差し、
やがて夕日も消え、闇に包まれそうな外の様子を感じ取れる時刻となった。
夕刻の気配は立ち退きを要求され、夜がのそのそと現れようする。
辺り一面の虫の音さえ、夜を演出している。
まるで、世界から孤立してしまったかのような錯覚を味わいそうだ。

闇と夕日が混じり合い、その曖昧な色彩の中にいる泉はいっそう美しかった。
彼女のすっきりとした顔立ちは、真に心に響く美しさであり、
同時に恋心を抱く者を容易に近づけさせない。
炎の中に凛とし、気高く存在するような氷柱のように。
これは寛太ならではの錯覚であろうが、少年にとって彼女はあまりに美しすぎた。

寛太は無意識に、今日の夜の雰囲気に期待を抱いていた。
いつも陽が完全に沈まぬうちに終わる学校の日常とは違った、
今日の特別な集い、そして特別な時間に。
今日ならば泉との間に何かいつもと違う事が起こるのではないか、
少しでも、泉に近づけるのではないか、
そしていつもよりたくさん話せるのではないかと。
寛太はそんな抽象的な妄想を繰り広げ、
へその下のあたりが妙にぞわぞわする緊張感を味わっていた。


ようやく給食が終了し、いよいよ篝火の儀式が始まる。
泉は赤組の班長であるため、他の生徒とは違う、集いの儀式での役目があった。
「じゃあ、着替えてくるから、あと高橋たのむね」
泉は高橋に赤組のことを頼み、木の床を蹴飛ばしてさっさと体育館をでていった。
寛太は高橋が頼まれたことが気に食わなかった。
四年の寛太と五年の高橋では、高橋が頼まれるに決まっているのだが、寛太にはそれが悔しくてたまらない。
寛太をはじめ、残った赤組の鼻たれたちは十人程度、高橋のたどたどしい案内で体育館を出た。

体育館の外は、長袖でなければ少し冷えてしまう夜の世界であった。
おんぼろな電灯がひとつあるだけで、外はほとんど闇。
頼りない電灯は、ぱちぱちと消えたり点いたりでますます頼りない。
それに比べてグラウンドの虫たちはなんと上品に鳴いていることか。
おそらくエンマコオロギやツヅレサセコオロギの演奏。
そこにせっかくの虫の音をだいなしにするように、子供たちが体育館から騒がしく出てきた。
笑い声、けんかの声、叫び声。秋の風情が渋い顔で迷惑がっているに違いない。

四つの組に分かれた三十名ばかりの子供たちはグランドの隅っこで待機させられた。
はじめはうるさかった子供も、
夜の寒さと静けさに感化させられたのか喋ったり暴れたりするのをやめだした。
足元の見えない枯葉を踏む音が辺りに漂い始める。
騒ぐのをやめた子供たちは、先生の指示でグラウンドの周りに環を作るように並んだ。
子供たちの環の中心、つまりグラウンドの中心には
大人でも持ち運ぶのが大変そうな丸木が何段にも積み上げられていた。
丸木は二本一組で九十度にお互い交差するように積み上げられており、
そう、つまりキャンプファイヤーを行うときに用意するアレである。
キャンプファイアー用の積み木にはまだ火は点いていない。
これから行う儀式において点火されるのだ。
子供たちが並び終わってから「篝火の集い」始まる。


学校裏の森にある神社に続く階段から、
白装束を着た四人がそろりそろりと厳粛に下ってきた。
篝火の集いでは、班長である四人の生徒がこうした特別な役割を演じる。
神社の階段の両脇はうっそうとした老木に支えられており、
その夜の緑の下から現れた白装束たちは妖しく神秘的であった。
炎を灯したトーチを両手で大事に持ち、白装束をゆらゆらを風に任せながら、
四人はグラウンドの中心へとゆっくり歩みを進めた。
彼らの履くわらじは、秋の冷たい砂をじゃりじゃりと弾く。
彼らは表情を変えない。
いつも教室でふざけあっていた友達だった彼らは、今夜だけは違う存在となっていた。
グラウンドを囲んでいる生徒たちは、いつもと違う班長の様子に驚きを隠せず目をまんまるくした。

寛太の目はもちろん赤組の班長である泉の焦点を合わせていた。
寛太の心臓はもうばくばくして弾けそうだった。
こんなにきれいになった泉を見たことがないからだ。
そして寒さのせいではない震えを感じる。
それは神妙な泉の表情、清い白装束、ゆらゆら漂うトーチの炎。

どこからともなく音楽が流れる。
幼い子供たちにとっても少し寂しい旋律…

「遠き山に日は落ちて
 星は空を 散りばめぬ
 今日のわざを なし終えて
 心軽(カロ)く 安らえば
 風は涼し この夕べ
 いざや楽しき まどいせん」

グラウンドを照らすライトが消えた。
照明が消え、驚く子供たちの声。それも闇の中へかすれていく様にすぐ消えた。

四つの炎は、積み木を囲み、そして歩みを止める。
山から下りてきた四人の精霊による誓いの儀式が始まった。
メガネをかけている青組の班長。
「篝火に誓う炎は、練磨の火。
 私たちは日々の努力を忘れないことを誓います」
背の高い女子である白組の班長。
「篝火に誓う炎は、調和の火。
 私たちはお互いに助け合い協力しながら生活していくことを誓います」
いつも皆を笑わせている黄組の班長。
「篝火に誓う炎は、壮健の火。
 私たちは両親から頂いた体を大事にし、心身ともに健康に過ごすことを誓います」
そして背筋がピシッと伸びていたのは、赤組の班長―泉。目は冷たく鋭い。
「篝火に誓う炎は―」

どくん―
泉の声を聞き、寛太の心の臓ははち切れんばかりに脈を打った。
泉の真っ直ぐな声。夜空に届きそうな芯のある声。

「奉仕の火。私たちは―」

だめ…… 続けちゃダメだ……
寛太の時間の中に、泉が今にも誓いを終わらせようとする様子が飛び込んできた。
六年生の泉は学校の行事をひとつひとつ確実に終わらせていく。
運動会、七夕会など三又小学校の数多くの行事は、時間を刻む時計のように、季節の間を確実に流れていく。
そして、いつの日か泉は遠くへ行くだろう。
篝火の集いが終わり、秋が終わって冬が来て、雪がとけ始めたら、隣の村の中学校へ行ってしまう。
ここまで寛太が言葉に出来たかわからないが、
それでも泉の誓いを聞く寛太は、漠然とした寂しさを感じていた。

「今、学べることに感謝し、感謝の気持ちを周囲の人へ還していくことを誓います」

精霊役の四人が、それぞれ積み木の方へ一歩進み、トーチを構えなおした。
やめて! 火をつけちゃダメだ! 泉ちゃん行かないで!
寛太はそう叫びそうになった。喉まで声が来た。
……でも言えなかった。
四人は一斉にトーチの火を積み木に宿した。
ごう! 
高く積まれた丸太は一瞬で燃え上がり、環を作る生徒たちからわあと歓声があがった。
嬉しそうな小学生たちの顔に、篝火のつくる影が映りこむ。
ただ寛太だけが、その歓声についていけなかった。
遠くへ泉が行ってしまうこと、それに混ざりこむように、同級生とうまくいかなくなったこと、
ひいばあさんの身体の調子が悪いこと、いろんなことが思い起こされたのかもしれない。そうでないかもしれない。
篝火の火はこんなにも暖かなのに、どうして僕は悲しいんだろうなあ。

しばらく寛太がぼんやり下を向いてると、ふと目の前が明るくなったことに気がついた。
それと風になびく炎の、ぼぼうという音。
「ほれ、寛太。なにぼけっとしてらの! トーチ出せ、火けるがら」
目の前にはいつもの表情の泉が立っていた。
寛太はそれが泉だとはっきり分かるのに少し時間がかかった。
「……泉ちゃん?」
呆けたような寛太の声。それを見て泉はぷっと吹き出してしまった。
さきほどまで白い山の精霊を演じていた泉とは様子がまるで違っていて、笑顔であって、
遠くからは神秘的に冷たく見えた白装束も、近くで見ると継ぎ足しだらけでぼろっちいものだった。
「ん。泣いでらの?」
泉は表情を優しくし、寛太の顔を覗き込むように聞いてきた。
「ちがうって! ……ちょと寒くてよ」
「……ふーん。ほれ、トーチ出して! 火あげっから」
泉はそう言ったあとで、ふふんと微笑みながら自分のトーチの火を寛太のトーチに燃え移らせてあげた。
灯油をしみこませてあるトーチは、初めはちろちろと燃え、その後すぐに大きな炎を灯した。
泉と寛太の二本のトーチに照らされた寛太の顔もいつもの照れ隠しの顔で、泉の表情もいつも通り。それで寛太は笑顔になれた。

グラウンドを囲む生徒たちのトーチは、誓いの儀式を終えた各班長によって火が灯されていた。
生徒たちは火が付いたことを無邪気に喜びながら、隣の生徒とおしゃべりを始めており、
誓いの儀式の厳粛な雰囲気はとうにどこかにいってしまっていた。
いつもは真面目で厳しい先生方も、火を囲むときはなぜかやさしそうな表情をみせている。
パチパチとグラウンド中央の積み木が燃える音。
がしゃ、と真っ赤な炭となった木が崩れた。
舞い上がる火の粉。
その火の粉を追ってゆくとやがて満天の星空に気づいた。
「ああ」
寛太は星空に圧倒されてしまった。
雲ひとつない夜空だった。
こんなに巨大なものの下で、こんなちっぽけな火を焚いていたのか。
空を見上げる寛太に横目に、泉も空を見上げた。
「寛太、あのひしゃく型の星座見える? あれが北斗七星」
寛太は泉が指差した曖昧な方向を覗き込んだ。
「あれが、ひしゃく……」
そう、あの大きな星座は理科の教科書に載っている北斗七星だ。
まるで本の中の世界が狭くて空に引っ越してしまったかのように、星座は宇宙を悠々と泳いでいた。
その歩みの時間は牛の歩みのようであり、母の帰りを待つ夕暮れ時のようにもどかしい。
今この瞬間に初めて意識した星座の存在に、そしてその雄大さに、静けさに、
寛太は大きな安心感をもらったように感じた。


FIN


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